読書感想文 〜キリン解剖記(著・郡司芽久)〜【6/9 追記】
キリンって格好いいな、と思ったのは大学2年生の頃だった。
その日のわたしは、理由はよく覚えてないけれど落ち込んでいて、なんだか悲しい気持ちで学内のコンビニを意味もなく何周もウロウロしていた。そのときにふと目に入ったのが、文具コーナーに置かれたキリンの写真のポストカードだった。(大学構内のコンビニに置いてあるポストカードとか誰が買うんだろう)
サバンナに沈むオレンジの夕陽をバックに、何頭かのキリンのシルエットが映った写真だった。それが無性に心惹かれて格好よくて、キリンって凄いな、と思った。
(その頃万年金欠学生だったわたしは散々迷った末に「何に使うんだろう」「使わないモノ買ってもなぁ」と思って200円ほどのそのポストカードを買わなかった。こんなに何年もキリンに心惹かれることになるとわかっていたら買っていたのに。少し後悔している)
そのとき以来、キリンのことが気になってしょうがなくなった。
キリン。
いつその動物を知ったのか覚えていないくらい小さい頃から、動物園や絵本でお馴染みの生き物だ。首が長くて、脚も長くて、独特の模様で。シルエットだけで、若しくは模様だけで「キリンだ!」と誰でもわかるアイデンティティを持っているところが格好いいと思った。生命の進化の神秘を感じた。
それに、そんな風に格好いいのに、顔をよく見ると目がくりくりしていて、ほっぺはぷくっとしていて口が大きくて、なんだかコミカルで愛らしいところもよかった。
でも大学生だったわたしは、その姿かたち以外キリンのことを何も知らなかった。
自分の無知に気づいたわたしは、ネットで色々なキリンの写真や情報を見た。見れば見るほどキリンが好きになった。ぜんぶネットの知識だから威張れるようなものでもないけれど、たぶん他の人よりは少しだけキリンに詳しくなった。ウシに似た鳴き声をしていることとか、近い種族はオカピであることとか、超高血圧なこととか。それに、ケニアにはキリンを飼育しているホテルがあることも知った。二階の窓からキリンが首を覗かせている写真を見るとワクワクした。(ケニアどころか海外自体怖くて一度も行ったことがないけど、一度泊まってみたい)
動物園にも行ったし、キリンの雑貨を沢山取り扱っている雑貨屋さんがあることも知って、何度も足を運んだ。(就職して遠くに引っ越してあまり行かなくなって暫くしてから、その雑貨屋さんは店を畳まれてしまった。店主さんは人見知りな様子だったけれど何度か行くうちに雑談もするようになり、閉店前に挨拶に行った時も随分久しぶりに足を運んだのに覚えていてくれて嬉しかった。わたしが持っているキリングッズの多くはその店で購入したものだ)
そんなふうに「好きな動物はキリンです」と言うようになってから数年経った先日、「キリン解剖記」なる本が出版されていることをツイッターで知った。
拙著「キリン解剖記」が予約開始となりました!
— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) 2019年6月20日
物心つく前からキリンが好きだった私が、18歳でキリンの研究者を志し、恩師と出会い、沢山のキリンを解剖し、「第8の”首の骨”」を発見して博士号を取るまでの約10年間の物語です。7/8発売です!https://t.co/dTYWtNFNIk#WorldGiraffeDay #キリンの日 pic.twitter.com/DGdBgJ3ht5
もうね、この帯の文言と、見開きで載っている試し読みだけで「面白そう!」と思った。
Amazonのページに飛ぶと、著者の紹介も載っていた。
郡司芽久(ぐんじめぐ)
1989年生まれ。2017年3月に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了(農学博士)。
同年4月より、日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務。
幼少期からキリンが好きで、大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究を行い、27歳で念願のキリン博士となる。
Amazonより
89年生まれの方なら、年齢はわたしとそう変わらない。「芽久(めぐ)」という名前やツイッターに載っている写真からすると女性だろうから、わたしと同性の、同年代の方が書いた本、ということになる。無性に親近感が湧き、益々読んでみたくなった。(東大大学院卒、というわたしとは遥か遠い経歴は一旦考えないことにする)
早速そのままAmazonで購入し、届くのをわくわくしながら待った。楽しみすぎて、家族や友人知人と電話で近況を話したときに「面白そうな本買ったの!」と色んな人に話した。
すると大抵の人は「なんか難しそう」「学術本? 高そう」と言うのだ。
……そんなことなくない?
取り敢えず値段については、似た判型の本と比べてもごく普通の値段だ。別に高いとか安いとか思わない。
内容が難しいかは読んでいない段階ではわからないが、試し読みを見る限りでは平易な言葉でわかりやすく書かれていそうな気がする。でもそうは言ってもこれは恐らく冒頭部分だろうし、具体的なキリンの身体の仕組みの話になったら難しいのだろうか。そこまで考えずに買ってしまった。
少し不安になりながら、家に届いた本を手に取った。表紙のイラストが可愛い。家事の合間や寝る前に少しずつ読んだ。
結論から言えば、中学や高校の生物の授業で聞いた気がする単語さえ知っていれば、そして知らない単語でも少しなら調べたり前後の文脈から意味を推察したりできれば、特に引っかからずに読むことができるくらい、わかりやすくて易しい言葉で書かれた親切な本だった。
そして物語としてとても面白く、語り口も親しみやすく、キリンにも詳しくなれる、素敵な本だった。
なにより、書き手のキリンへの熱意が伝わってくるところがよかった。
特に、
キリンの解剖をする機会は意外に多いので、読者のみなさんにも突然チャンスがやってくるかもしれない。
(本文14ページ)
とか、
もしもキリンについて講演する機会があなたに訪れたなら、翌日の筋肉痛を避けるために、迷わずメスの頭蓋をもって講演会場に向かうべきだ。
(本文156ページ)
とか。
「いつか推しのピックアップガチャが来るかもしれないから……」みたいなノリで、「いつかキリンの解剖や講演をする機会が来るかもしれないから……」みたいに語るこの人はきっと、キリンが「推し」なんだろう。
キリンを推してるキリンおたくがキリンについて書いた本だ。キリンに少しでも興味があれば、面白くないわけがない。わたしはおたくが推しの話をするのを聞くのが好きなので……。
そして「キリンには首の骨が8つある」という結論に至るまでの過程を物語として書かれたこの本には、解剖の手順や様子もしっかりと描かれているところが、わたしの胸を打った。
解剖の様子、と言っても、過剰過激な「グロい」表現があるわけではない。ただ、生き物の皮を刃物で切って剥がして、表皮の下にある筋肉や骨や腱を観察する著者の研究の様子を描いているだけだ。それでも、血で汚れないようにカッパを着て作業していることとか、研究着に死臭(腐敗臭)が染み付いてしまったエピソードとか、ある意味「生々しい」、実際その仕事をしていないと感じないであろう感覚や感情が描いてあった。(服の話ばかり印象に残っているのは、「解剖をしているのはコンピューターやロボットじゃなくて人間だ」という当たり前のことに考えが至っていなかったことを実感したからかもしれない)
理科の教科書や図鑑やテレビで、人間や動物の筋肉や骨格の図を見ることがある。その綺麗で見やすく描かれた図に至るまでに、こうして動物の血で汚れながら、探究心を持って生き物の身体を観察した人がいたんだな、と改めて気づいた。まあ中には「血を見るのが好きなんです……」みたいな、漫画の中のマッドサイエンティストっぽい人もいたかもしれないけど、この本の中の研究者は、解剖した動物の遺体に敬意を持っていて、一頭一頭名前やエピソードを覚えている、そんな人間味あふれる方だった。遺体をつつき回したのになにも進歩や発見が得られなかったと罪悪感を感じるくだりでは、読んでいるわたしも胸が重くなった。
正直に言うとわたしはグロテスクな表現がとても苦手で、先に述べたような端的な解剖の様子の表現だけで「ウッ……」と思ってしまうときもあった。でも、グロテスクなスリルを楽しむために描かれた過剰な表現ではなくて、現場の方がその身で感じたリアルな感覚なんだと思ったこと、その表現はそんなに長くは続かないこと、そしてなにより物語としてとても面白くて先が気になると感じたことで、最後まで読み切ることができた。
動物園の生き物たちは死んだらどこへ行くのかとか考えたこともなかったし、「骨格標本にされるんだよ」と誰かが教えてくれたとしても、首や脚や胴体みたいなバラバラのパーツに分けられて大学や博物館に運ばれていく様子なんて想像できなかったと思う。高速道路を走ってるクレーンつきのトラックの荷台にはもしかしたらこれから解剖されるキリンの遺体が乗ってるかもしれないなんて!!(バラバラにされずに運ばれてきたキリンの遺体のエピソードは印象的だった。クレーンに吊るされているキリンの写真も載っていた。白黒だったので、ぜひカラーで見てみたい)
動物園のスタッフさんは、単に動物が好きなだけじゃなくて、遺体を保管したり研究者の方に提供したりと、研究の一端を担っていること、大型動物の遺体の運搬を引き受ける運送会社があること、大学や博物館の裏では動物の解剖が行われているかもしれないこと(わたしの実家の近くの大学の名前も作中に出てきた。もしかしたらわたしが実家でぐうすか寝ている間に5キロほど離れたあの大学でキリンの遺体が解剖されていたかもしれない)。
どれも知らなかったこと、想像さえしてこなかったことで、わたしの知らない世界がまだまだあるんだと思い知らされた。世界を見る目が少し変わった。
そうやって怒涛のように知らなかったことを知る体験が面白すぎて、すごく素敵な本だったという話を誰かにしたくて、だれが読むのかもわからない感想文を書いている。
この本の最後のあたりに、
ここまでこの本を読んでくださったみなさんが、読みはじめた頃よりキリンを好きになっていたら、とても嬉しい。
(本文197ページ)
とあった。
東大院卒のキリン博士とわたしみたいな一介の二次元おたくを一緒にすると誰かに怒られそうだけど、わたしも推しについて書いたとき似たようなことを書いた気がして、笑ってしまった。好きなものの話をするときって、みんなそんな気持ちで話すのかもしれないなあ。
確かにこの本を読んで前よりもキリンのこと好きになったので、外出自粛しなくてよくなったら動物園に行きたいと思います。前よりもキリンを見るのがもっともっと楽しくなるかもしれない。
おわり。
ちなみに普段わたしは平仮名で「きりん」と書くことが多いけれど、この記事の中では「キリン解剖記」の中の表記に合わせて「キリン」と片仮名で書きました。
2020.06.09 追記
なんとこの記事を著者の郡司先生が読んでくださっていて、先日ツイッターでシェアしていただきました……!
昨年、私のキリン研究の日々をまとめた本「キリン解剖記」を出版しました。「これはオタクが"推し"を語る本だ」というステキな感想文を書いていていただいて、とても嬉しかったので、ここでこっそりシェアします。https://t.co/TIl4CYZXOZ
— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) 2020年6月7日
人によっては失礼だと受け取るかもしれない表現も多々あったにも関わらず、楽しく読んで頂けたみたいでとっても嬉しいです!
書いてよかったー!!!
ちなみにこのツイートの前に繋がっているツイートによると、キリンは瞬きの回数が少ないんだそう。
「キリンって目が可愛いですよね」という一言に対して、「目が大きくて、まつげが長いですもんね!瞬きをほとんどしない分、いつも涙目なのもポイントですね。背が高いんで、目が少し下を向いてて、伏し目がちに見えるのも良いですよね…」って早口で返した時、自分がオタクなんだと痛感しましたね。 pic.twitter.com/wtTGCMC3c3
— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) 2020年6月7日
わたしもまたひとつきりんに詳しくなりました! 郡司先生ありがとうございます!!