おやつカルパス

さくぶんれんしゅう帳

日向坂46ドキュメンタリーを観て考えたこと

昔から、女性アイドルにほんのり興味を抱いていた。

モー娘。は周りの友達が離れていくのと同時に離れたけれど、AKBが流行りだした頃も周りに合わせて鼻で笑ってみたけれど、ずっとアイドルのことが気になっていた。

それはたぶん、頑張っている女の子が好きだから。頑張っている女の子はカッコいいから。わたしはカッコいい女の子が好きだから。

「頑張っている女の子」はアイドル以外にもスポーツ選手とか女優さんとか沢山いるけれど、可愛くて歌って踊ってキラキラしているところも憧れだった。

 

それなのに"ハマれるアイドル"がずっといなかった理由は、女の子たちが頑張った先に、"性的に搾取されるかたち"があることに、違和感と嫌悪感を抱いているからだと思う。肌を出した衣装とか、短いスカートとか、疑似恋愛のようなファンサとか、写真集の目玉には必ず水着とか……。(こんなふうに言語化できるようになったのは最近で、「アイドルに群がってうおー!って言ってる男の人の集団、怖いな……」とぼんやり思っていた時期の方が長い)

だから、肌を殆ど隠した衣装で、カメラに媚びず、強いパフォーマンスをする欅坂46に胸を打たれた。女の子たちが頑張った先が、短いスカートでハリボテの恋心を歌う姿じゃないことに強く心惹かれた。わたしは彼女たちの虜になって、毎日のように動画や情報をチェックした。
(欅坂も歌とダンスのパフォーマンス以外ではファンサもするし、握手会で疑似恋愛みたいなやりとりもするし、アイドル雑誌のグラビアでは露出度の高い薄着のこともある……のはファンになってから知った。正直なことを言うと、やめてほしいなぁと思っている)

 

そんな欅坂46の側にいたのが、妹グループのけやき坂46だった。

わたしが欅坂を好きになった頃、漢字欅ひらがなけやきは一緒の活動(ライブとか握手会とか)をしていることが多くて、漢字欅を追っかけているうちに自然とひらがなけやきの情報も目に入ってくるようになった。


3年半くらい前に一度だけ行った握手会では、お目当の漢字欅の推しメン(米谷奈々未ちゃん)の他に、ひらがなでお気に入りだった影山優佳ちゃんとも握手した。高瀬愛奈ちゃんからはレーンの向こうから手を振ってもらうというファンサも貰った。

そうやって、ひらがなけやきも可愛いな、頑張ってるな、応援したくなるな」と思っているうちに、ひらがなけやきはどんどん成長していった。みるみるうちにライブの会場が大きくなり、漢字欅に頼らない単独のドラマや冠番組や舞台も増えていった。突然降って湧いた武道館3daysも成功させ、単独でアルバムを出し、とうとう欅坂から独立してシングルデビューすることになった。
日向坂46の誕生だ。

 

日向坂46はいつも、キュンキュンキラキラな恋心を歌う。「アイドルが性的に搾取される姿」が好きじゃないわたしにとっては、正直言ってタイプじゃない。可愛いのは可愛いけどその歌詞に共感したり憧れたりすることはない。ぶっちゃけ何が言いたいかよくわからん曲だなぁと思うこともある。

それでもわたしが日向坂を見てしまうのは、「昔からずっと知っている子たちだから」という部分が大きい。「わたしたちなんて……」という気持ちを隠し切れてない控え目な笑顔で遠いレーン越しに手を振ってくれていたまなふぃが、キラキラニコニコフェイスで歌って踊ってたら「良かったねぇぇぇぇぇぇ 可愛いねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」って思っちゃうじゃないですか!!日向坂がニコニコ歌って踊ってるのを見ると、いつも胸があったかくなって嬉しくなって、「カワイイの天才!」って言っちゃう。甥っ子とか姪っ子の頑張りを見てる心境ってこんな感じかな、と思う。何しててもカワイイ。


そんな日向坂46のドキュメンタリー映画が公開された。

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サインポスター!!!
(田舎から今の街に越してきてから、映画館やCDショップで色んな芸能人のサインポスターを目にするようになりました……。都会って凄いなぁ)  

 

けやき坂の頃からずっと見てるからだいたい知ってるけれど、映画になるって凄いなぁと思って観に行った。映画館で映画観るの、好きだし。

メンバーへのインタビューと、レッスン中やステージ裏で回したカメラで撮った映像、それに過去のライブ映像で構成されたドキュメンタリー。知っていたことも知らなかったこともあった。メンバーの心境も語られていた。

結成したとき、デビューしたとき、メンバーが抜けたとき、沢山のエピソードに、アイドルの涙が映っていた。悔し涙や、悲しい涙や、感動の涙。アイドルが泣くとわたしも涙が出てきた。たぶん5回くらい泣いた。一度だけ行った握手会を思い出した。時間ギリギリまで手を握って話してくれた影ちゃんや、10メートルくらい遠くから手を振ってくれたまなふぃ。きっと必死だったんだね。ぜったい泣くと思って一番後ろの席取っといてよかった。


わたしが日向坂46を好きなのは、申し訳ないけど「曲が好きだから」ではない。この映画で描かれているみたいに、壁にぶつかっては乗り越え、ぶつかっては乗り越え、自らの手で道を切り開いてきた経歴がカッコいいからだ。その中で生まれてきた、人と人との繋がりに胸を打たれるからだ。

 

でもね、こうやって日向坂の経歴が、ひとつの感動ストーリーとして語られるのを見るたびに思うんです。

わたしたち、他人の人生を、娯楽として消費してない????

 

彼女たちは必死なのに。約束された成功なんてどこにもなかったのに。彼女たちは、わたしたちを感動させるために泣いているわけじゃないのに。最終的に良いパフォーマンスをして感動させたいという気持ちはあるだろうけれど、泣いている姿そのものを晒して感動させたいわけじゃないでしょう?

日向坂の笑顔にエネルギーを貰ったのとは裏腹に、アイドルの人生をフィクションのストーリーと同じように消費することへの違和感を抱きながら映画館を出た。

ステージの裏側や本人たちの心境を知れば感動して親近感を抱いてアイドルのことをもっと好きになるけれど、他人の人生を消費する気持ち悪さはいつまで経っても消えないなぁ。


この話、欅のオンラインライブ観た後にもしてますね……。


わたしはアイドルファンに向いてないのかもしれない……… と悩むけれど、きっと来月の欅坂のドキュメンタリーも、観に行くんだろうな。

 

割り切り方かアイドルからの離れ方、誰か教えてください!!