おやつカルパス

さくぶんれんしゅう帳

「欅」っていう字が書けるようになったよ

わたしは小林由依ちゃんが好きです。

 

3人くらいぽろぽろっと辞めたのに続いてねるちゃんも卒業するってなったとき、「わたしたちはどんなことがあっても前を向いていなくてはいけないお仕事をしています」ってブログに書いていたのが格好よくて、好きになった。

 

最初は米谷奈々未ちゃんがずっと好きだった。賢くてシャイで少しドライなところとか、でもファンと後輩(当時のけやき坂46)想いのところとかが好きだった。欅坂メンバーには照れ隠しのようにちょっと冷たいところもカワイイなって思ってた。あんまり前の方に出てこない子だったけど、テレビに出てるときチラッとでもよねさんの笑顔が映ると幸せになれた。

 

でもそんなよねさんが卒業しちゃって。よねがいた場所を他の子が埋めているのを見るたびに泣いていた。

 

そんなときに、ゆいぽんの「どんなことがあっても前を向いていなくてはいけない」って言葉を読んだんだよね。

 

↑この記事です

 

↑このブログも好きです。最初に卒業していった3人のことを書いた記事。

 

ただのファンのわたしよりもずっと寂しくて不安なはずなのに、そうやって意思表示するところが格好いいなって思った。3周年ライブで、「渋谷川」をひとりで歌ってるのを見て、強い子だなって思った。強いから自然に前を向けるんじゃなくて、「前を向いていかなきゃいけない」って意思を持って強く在ろうとして前を向いてるんだなって思った。じゃあわたしも前を向いて行こうとしているこの子を応援したいなって思った。

 

平手が怪我をして欅坂全員が武道館に立てなくなったとき、凄く悔しかったって言ってたのも、グループの活動が少ない時期にモデルやドラマの仕事を一つ一つこなして、ブログで丁寧に宣伝しているのも、全部「どんなときも前を向いていなくてはいけない」という言葉に繋がっている気がして好感を持った。

 

昨日の配信ライブでのゆいぽんは、凄く凄く凄く美しくて格好良かった。気迫があった。「でもセンターの子辞めたんでしょ?」って私に言ってきた奴ら全員に、この子を、このライブを見せたいと思った。「"代理センター"なんて言わせない」って伝わってくるようだった。「てちにしかできない」って言ってた自分が恥ずかしくなった。てちのパフォーマンスはてちにしかできないけど、ゆいぽんのパフォーマンスもゆいぽんにしかできないよ……。(ぶっちゃけてちはムラと怪我が多いことを知ってる分見てる時にずっとハラハラしちゃうので、こっちのがパフォーマンスの格好良さに集中して観れる)

 

でも、きっと、それだけ格好いいパフォーマンスができたとしても、「欅坂」って名前にこびりついたスキャンダラスなイメージは払拭できないって判断されてしまったんだろうな。それがすごく悲しいし、悔しい。「てちにしかできないパフォーマンス」から脱皮するときに、「欅坂」っていう名前が抱える「平手友梨奈」のイメージは足枷だと判断されてしまったのかな。

 

「欅坂が好き」って言うと、「センターの子が倒れたとこ?」って言われるんですよ。それ、好きって言ってる人に向かって言う??? って思うんだけど。でも実際言われるんですよ。何年前の話しとんじゃ。

たぶん、相手の人はこっちを不愉快にさせようとしてると言うよりも、それしか知らないからそれしか言うことがないんだろうなぁ。「なんで倒れたの?」「今は元気なの?」みたいな、下世話な週刊誌の記者か??? って思うようなこと聞かれることさえある。知らないよ。わたしはあなたが読むような下世話な週刊誌や匿名掲示板の情報は見ないようにしてるから、公式のHPやブログとテレビとラジオと、せいぜい雑誌のインタビューで公にされてることしか知りません。

ただのしがないファンのわたしですらこんなやりきれない思いをすることがあるんだから、本人たちがぶち当たるものはもっとキツいんだろうなって想像がつく。

 

だから、きっと、名前を変えようってことになったんだと思う。わたしはゆっかーのMCをそうやって受け取った。

 

今は「ライブめちゃくちゃ格好よかった!」っていう高揚と、「欅坂という名前がなくなってしまう」という悲しさで板挟みで、心の真ん中でちゃんと受け止めることができてない。でも、これから先もこの子たちが踊る姿が見たいなって沢山思うよ。

 

 

 

そしてこういうことがあるたびに、生身の女の子の貴重な人生を、ストーリーとして楽しみ消費している自分に気づいてぞっとする。アイドルってそういうものだし、もっと話を広げるとオーディション番組とかスポーツ選手とかもみんなそうなんだけど。

3次元の推しを推す心、深淵を覗くようだなぁ。