おやつカルパス

さくぶんれんしゅう帳

心に女児(男児でも可)が住みついてる大人は全員魔女見習いをさがしてほしい

泣くから。

 

※当記事には公開中の映画「魔女見習いをさがして」のネタバレが含まれます。

 

youtu.be

 

(冒頭公開という太っ腹動画を公式が出してるので載せてみたけど、少しでも気になるなーって思ってる人はこれを再生せずに是非映画館で観てほしい。これは一度見た人が思い出し泣きするための動画……)

 

でも主人公どれみちゃんじゃないんでしょ? どれみちゃん出てくるの? ってわたしも見る前は思ってた。これはどれみちゃんの物語じゃない。どれみちゃんの物語じゃなくて、わたしたちの物語だ。おジャ魔女どれみを見て魔女に憧れる子供だったけれど、現実には魔法なんかないって知って大人になってしまったわたしたちの物語。

 

もうね、オープニングがズルいじゃないですか。宝箱を開けたみたいな優しくて温かい、きらきらしたおジャ魔女カーニバル。それだけでボロボロ泣いた。

 

わたしも、普段は年相応な大人のフリして働いてるんだけどさ、子供の頃憧れてたものってずっと憧れなんですよ。それってわたしだけじゃないんだって、この映画を観て涙した人の数だけそんな大人がいるんだって思うとまた泣けた。

 

そんでね、この映画観てたら、ただ単純に「おジャ魔女どれみ」のことを懐かしく思い出すだけじゃなくて、子供の頃好きだったもの、憧れていたもの、信じていたもの、今でも懐かしくて話題に出るとテンション上がっちゃうもの、そういうものをたくさんたくさん思い出すんです。

 

子供の頃って本当に魔法があるんだって思ってたし、箒に乗れば空が飛べるって思ってたし、いつか美少女戦士になりたいって思ってたし、一緒に暮らすポケモンはどの子がいいか真剣に考えていたし、神社の古井戸は戦国時代に通じてると思ってたし、11歳になれば魔法魔術学校からの手紙をフクロウが運んできてくれるに違いないと思っていた。でもそうやって思ってたこと自体、大人として生きていたら忘れてしまいがちだし、「魔法って本当にあると思ってたんだよね」みたいなことすら普段は子供じみてて口に出せない。

 

だから、この映画の主人公たちみたいな、「好き」で繋がった友人ってすっごく、すっごく貴重だと思うんです。大人になってもまほう玉を大事に持ってるとか、呪文ぜんぶ言えちゃうとか、「おんぷちゃんみたいだね!」「世界一不幸な美少女なの…」みたいな会話とか、普段は言えないんですよ。大人だもん。でもそういう会話してるときってすっごく楽しくて、そういう相手が大事なの。

 

大人になってからの友人って、毎日学校で顔合わせてたときと違って、お互いが「友人でいたい」「また会いたい」って思わなきゃ成立しないじゃないですか。それがね、この映画の中の3人は成立してるの。「友人でいたい」「また会いたい」がお互いに成立してるから、喧嘩したり言いすぎたりしても誠実に謝って許せる関係、すごく素敵だし憧れるし、わたしも友達を大事にしようって思った。

 

映画の中のとある男の子が、「長く一緒にいると相手を傷つけてしまう」「だから一人が楽」って言ってて。それはすごくわかるなあって思うんだよね。学生のうちはずっとひとりって環境的に難しかったり浮いてしまったりするけれど、大人になったら結構簡単にそれができてしまう。仲良しグループの飲み会もクラスやバイトの同窓会も、誰かしらが予定合わないのが当たり前で、「ごめん、ちょっとその日ムリだわ」って言いやすくなって。「ちょっとムリだわ」「みんなで楽しんで」を何回か繰り返せば、気楽なひとりぼっちのできあがり。

そんな彼に「傷つけあってもそばに居たいって思う人がいる」って言えちゃうソラちゃんの言葉は、綺麗事かもしれないけど、それを信じてみたいなって思いました。

 

そんで、大人になっても好きなものの話を沢山してくれる友人たちに、会いたくなった。会ったらまた沢山、昔好きだったものの話も、今はまってるものの話もしたいな。