おやつカルパス

さくぶんれんしゅう帳

風の谷のナウシカ、面白すぎませんか?

もう1ヶ月前の話になるけれど、風の谷のナウシカを観ました。映画館で。

コロナの自粛期間が終わりつつある頃に立ち上がった、ジブリ映画の再上映キャンペーンのやつですね。

 

ナウシカ、何回も観たことあったし、話もぜーんぶ知ってたんだけど、でもね、あのね、面白すぎませんか??

いやそんなこと当たり前体操なんですけどね!! 今更何言ってるんだって感じなんですけどね!! 「ナウシカ面白かった」って言ったら「観たことなかったの!?」って言われるんですけどね!!!

 

違う!! 違うの!!!

 

映画館のスクリーンで、あの音響と大画面で、あの迫力で、真っ暗な中最初から最後まで集中して観るナウシカ面白すぎる!!!!!

 

金曜ロードショーで観るのと劇場に脚を運んで観るのでここまで違うのかってビリビリ感動した。

映画館という空間の底力を見た。

「一生に一度は映画館でジブリを」のキャッチコピーに相応しい映画体験だった。

(ちなみに千と千尋猫の恩返しは公開当時に映画館で観たし、この度のキャンペーンでもののけ姫も観たので“映画館でジブリ”自体は初めてじゃない)

記憶消してもっかい観たい。

どんな映画か、どんな物語なのか知らずに観に行った公開当時の人たち、羨ましすぎる……!!

 

というわけで、鑑賞から1ヶ月経っていますがその時のテンションできるだけそのままで感想を書いていきたいと思います。

 

まじで当たり前すぎることしか言っていません。

 

 

まずね、蟲の造形が不気味なのが良い

実在する虫たちの姿かたちはモチーフとして残っていて、でも色鮮やかで沢山の目がギョロギョロしていて、巨きくて。身体が大きいが故に口も大きい。食べられちゃいそう。そして蟲たちが羽や脚や口を動かすときの、ギチギチギチギチ……っていう不気味な音。もしも実在する虫たちがあのサイズだったら、あんな音が聞こえるんでしょうか。

いちばんぞわぞわっとしたシーンは、腐海に落ちて蟲に向けて銃を打つアスベルに、フナムシみたいなかたちでウサギくらいの大きさの蟲が沢山飛びかかるところ。ひえ〜〜〜〜!!! 怖い!!!! 

王蟲みたいな非現実的な大きさじゃないから余計怖い。あのフナムシお化けに自分が囲まれるところをリアルに想像してしまう。ぞぞぞ〜〜〜!!!!

テレビの小さい画面じゃなくて、映画館のスクリーンで見るからこその臨場感と迫力。正直あのシーンでこんなにぞわぞわするとは思わなかった。王蟲の群れはスクリーンで観たら気色悪いだろうなと予想していたからそこまでダメージを受けなかった)

 

そんで、風の谷トルメキアペジテの3国の関係、あれって言葉で説明すると結構複雑だと思うんですけど、物語の中で理解できるようになっているのが凄いなと思った。

物語のペースが緩まないというか。台詞が説明くさくないというか。

ナウシカアスベルと和解して、ペジテに戻ったら街が蟲に襲われてたとことかびっくりしちゃいません? トルメキアペジテを侵略したこと、森を焼こうとしていることと結び付けて、「これはトルメキアが何かしたんじゃ……?」って思っちゃうけど、実はペジテを占領していたトルメキア軍を殺すためにペジテ軍が自ら自分たちの町を蟲に襲わせたと明かされて二重にびっくり。それまでに出てきたペジテの人って、ラステルは囚われの姫ってかんじだったし、アスベルも妹の仇討ちに燃えていただけで話してみればいい奴だったしで、「ナウシカ風の谷)の敵」とは思えなかったんですよね。でも蓋を開けてみれば、風の谷に直接厄災をもたらそうとするのはペジテの人たちなわけで……。まあそもそもトルメキアペジテを侵略しなければ、という話にもなりますが……。

……って色々考えているうちに、説明されたわけでもない3国の関係をいつの間にか理解している。現実の地理や歴史もこんな風に理解できたらいいのに!!

あと、風の谷の人々はナウシカの味方、トルメキアの人々はナウシカの敵、って描かれ方をしてますが、ペジテの人々は風の谷を襲う(蟲に襲わせる)人と、ナウシカを助ける人の両方がいるのも印象的ですね。同じ国だからといって一枚岩ではないってこと、現実世界でも忘れてしまいがちなので……。

 

それとそれと、巨神兵という存在が不気味すぎて怖い

他の設定や武器や兵器は「現代文明が崩壊したあとの話」として「まあそういう未来もあるかな……」と思えてしまうんですが、巨神兵って、アレ、なに???

ナウシカ乗ってるような空を飛ぶ乗り物とか、光線銃搭載の小型戦闘機とか、まあ技術の発展でそういうのできるかもなって思えるんですよ。そうかと思えば剣と盾で闘う歩兵がいたり、戦車がなんだかレトロだったりしていて、技術レベルがあべこべなところも、「一度発展したものが崩れたあとって、すぐに立て直せるものとそうでないものに差が出そうだよな……」とか思考の手がかりになるんですよ。

だが巨神兵、お前はなんだ。

生物兵器……? 生き物……? 旧時代(現代文明)の人々はアレを“造った”の……? どうやって……? 生体実験……? 遺伝子操作……?? 元になった生き物はなに……?

こわいこわい。映画のクライマックス、風の谷に押し寄せる王蟲の群れが、巨神兵の溶けた“亡骸”を避けて通るシーンがあるのにもぞっとする。全てを飲み込み腐海に変えてしまうはずの王蟲が、避けて通るほどのモノなの……? どうしても“忌むべきもの”なんじゃないかという想像がどんどん膨らんでしまう。でも作中では答えは明かされない。えー!! 気になる!!!!

 

そして風の谷に流れる自然信仰もある意味怖い

大ババさまが語る神話、信仰。それを信じて従う谷の人々。誰も疑わないんだろうか。

大ババさまの言うことがおかしいって言いたいわけじゃない。ありのままを受け入れて、自然にできるだけ危害を加えず、慎ましく生きる。素晴らしいことだと思う。実際それを信じていたナウシカの優しい心根が谷を救ったわけだし。

でもなんつーか、王蟲の群れを見た子供との「大ババさま死ぬの?」「それが定めならね」みたいなやりとりに、わたしは怖さを抱いたんですよ。子供だけでも逃がそうとか、生き延びさせようとか、そういう発想になる人は誰もいないの? 俺だけでも逃げようとか、俺だけでも生き延びたいとか、そんな自己中心野郎もいないの?

あの状況で、谷の人みんなが死を覚悟して、定めとして受け入れるのって、谷がまるごと強烈な宗教に呑まれているようで不気味だなって思ったんですよね。

ナウシカだって、たぶんあれ死のうとしてたんじゃないかと思うんです。王蟲の子供と一緒に群れの進む先に降りたとき。ナウシカみたいに生命力の強い子が、若い女の子が、谷の人々の先頭に立って真っ先に殺されようと思うほどの信仰。いったい何なのだろう。怖いなあ。

 

総じて、映画館で観るナウシカは、テレビで観るよりも何倍も深くて怖くて面白くて、考えさせられる映画でした。

あの映画が、特にあのおどろおどろしい蟲の作画とか腐海の作画とか、30年以上前につくられたものだなんて本当に信じられない。アニメーションって、ひとつに芸術作品だよなあと、改めて思い知らされました。

今後ますます、観たい映画はスクリーンで観なきゃ!! という想いが強まりそうです……。