2021年の手帳を買いました!
えっ!? もう!?
……ってよく言われるんだけど、わたしはだいたいこの時期に翌年の手帳を買います。手帳が店頭に並び出してすぐ!
来年はこの子を使います〜!
セーラームーンモチーフのマンスリー手帳。20周年以降のセラムンは大人でも使いやすいデザインばっかり出してきてホントにズルいですよね……!!
中身はこんな感じ。
月曜始まりのシンプルなマンスリーと、ページ数多めのメモページ。ちなみにサイズはB6だったかな。
学生の頃とかはウィークリー手帳にぎっしり書いてたけど、ここ数年はマンスリーで十分なのでずっとこのタイプを使ってます。
ちなみにセーラームーンのシリーズ使うのは3年目です〜!
左が去年の、右が今年の。
変身アイテムやメイク道具のモチーフ、可愛過ぎやしません???? 今年もこのモチーフを使ったデザインも店頭で見つけたんですが、気分を変えたくてドレスとルナ&アルテミスのを選びました!
なんでこんなに早く翌年の手帳を買うかというと、いくつか理由があって……。
まずひとつめは手帳が季節商品ということ!
手帳ってこの時期しか売れないし、毎年違う中身じゃないですか。何冊か並行で使う人はいても、無限に消費するものでもないし。だから、余程人気でもない限り、売り切れたら再生産再入荷はしないんじゃないか……? と思ってしまって……。
あの店で売ってたあの手帳いい感じだけど、他にも良いの見つかるかもしれないしもう少し悩もう……! と思ってるうちに売り切れてしまうっていう経験を何度かしちゃったことがあるんです……。なのでここ数年は、この手帳良い! 可愛いし中身も良い!! って思ったら、即購入するようにしています!!
ふたつめは、翌年の予定ってこの時期から結構入るということ!
ライブとかイベントとか旅行とか、早ければ半年とか一年前くらいから日程決まるじゃないですか!! 楽しい予定を手帳に書き込むのワクワクするので、早く買いたい!! ってなるんですよね〜!!
で、手帳って何書くの?
これ、手帳を使う習慣がない人からよく聞かれます……。まあ確かに予定管理だけならスマホのアプリのが便利だし……。わからんでもない……。
わたし、手帳は好きだけど人様にお見せできるほどお洒落で可愛くは書いてないので、見せれそうなとこだけ、ちょっとだけ公開します。
まず、先の予定を書く。
遊びに行く予定と、晩ご飯の計画を書いてます。
字が雑…………
ハリポタ展(特別展「ハリーポッターと魔法の歴史」@兵庫県立美術館)行きたかったな……… コロナで延期になっちゃったので来年行きます…………
食料品はできるだけ週末纏めて買うようにしてるので、一週間分何を作るかこうやって決めて、買い物メモを作って買い出しに行きます。
残業で疲れてお惣菜で済ませちゃったりとか、この通りにいかないこともしばしば…… ですが、「今日ご飯どうしよう……」って悩むストレスがないのがとても楽!
あとはやろうと思ってることが沢山ある休日なんかは、あそこに行ってアレを買ってコレをして……みたいな計画を手帳の空いたスペースに書き出すときもあります。
そして、その月が終わったら、シールとかチケットをぺたぺた貼っちゃう。
どちらかというとこれが楽しくて紙の手帳を手放せないところがあります……!
こんな感じ。映画の半券&入場特典と、展覧会のチケット! マステ選ぶのも楽しい……!
これは映画行きまくった月のやつ。数えたらヒロアカ×4とプロメア×2と、ヲタ恋でした……笑 ヒーローズライジング、まじで何回見てもクライマックスで泣く。4Dだとより泣ける。
左ページはチケットじゃなくてシール。ジャンフェスに行った家族からのお土産のミリオくんとか出久くんとか、単行本買ったら貰えた悠仁くんとか。
右ページのヒロアカのムビチケもたぶん実際使ったのは前の月だし(財布から出てきたので貼った)、ユニバもこの月に行ったわけじゃなくて年パスの期限切れたから貼っただけだし、コロナが広まってたこともあってあんまり遊びに行けてない時期ですね……。
一枚だけある映画のチケットはSHIROBAKO。アニメばっかり観てるね……。
こんなふうにチケット貼っていって、ぺたんとしていた手帳がだんだん分厚くなっていくのが楽しいのです……! ときどき過去のページを見返すのも楽しくて好きです。
新しい手帳は10月始まりなので、もうちょっとで使えるようになる! 楽しみです!!!
おわり。
#DOC欅坂 【10/10追記】
欅坂46のドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」を観ました。
スペシャルハッピー! な映画体験ではなかったけど、観に行ってよかったな、と思う。
わたしは、彼女たちが紅白に初出場したときくらいから、だから、3年半くらい前から、ずっと欅坂が好きです。
でも好きになった直後くらいからずっと、アクシデント続きのグループだった。
まあアクシデントの中心は主に平手なんですけど……。声が出なくなったとか、ライブに出なかったとか、出たけど元気がなかったとか、紅白で倒れたとか、武道館ドタキャンしたとか、とかとかとか。
まあ発煙筒事件は100%やったやつが悪いから平手も他のメンバーもスタッフも被害者なんですけど、それ以外のライブに出れないとか倒れたとかそういうのでね、平手はどんな様子なんだろう、何を感じてるんだろうって凄く不安だった。
この映画を観に行ってよかった理由のひとつに、その「てちがどんな様子だったか」が少し映っていたってのがあります。インタビューとかは、現メンバーだけだったから、てちが話してたのは本当にデビューした頃の映像しかなくて、「何を感じているのか」は分からなかったけれど。
でね、わたしはその平手の様子や平手の周りの人たちが、平手が置かれた環境が、凄く怖かった。
特にドーム公演の「不協和音」からの「角を曲がる」の流れ。
不協和音の前に「出たくない、出たくない」って言ってた平手がめちゃくちゃ迫力のある「僕は嫌だ」を決めた時点で観ててしんどかった。
「でもこの後ソロ曲歌ったんだよね……?」ってめちゃくちゃ心配になった。
そしたら不協和音のあと、ふらふらで立っていられないような状態の平手を大人が数人がかりで着替えさせて、髪と化粧を整えて、また大人が数人がかりで運んでセンターステージに立たせてる………。
18歳の女の子だよ? 大の大人が、立ってられないくらいふらふらな18歳の女の子を数人がかりで着替えさせてステージに立たせるんだよ?
アイドルの現場、それが当たり前なの? 普通なの? 頑張ってカッコいいステージを作り上げてるって美談になるの?
角を曲がるのイントロが流れて、観客がわー!!って沸いてる様子、凄くシュールで滑稽に見えたんだよな。
いやわかるよ。わたしも裏舞台を知らずにあの場にいたら盛り上がったと思う。久しぶりのてちセンターの不協和音で盛り上がってるところに、更に映画(平手主演映画「響」)でしか聴けなかったソロ曲持ってこられるんだもん……。しかもステージに立った平手は、ちゃんと美しくて格好いい。さっきまで立つのもやっとでふらふらだった人とは思えないくらい。
でもさ、裏であんな風に着替えさせられて運ばれてるの見てしまったら、あんなに盛り上がれないよ……。怖いよ………。
他にも「嫌だ、出たくない、出れない」と言いながら平手がステージに立つ場面が何度かあって、正直、「こんなに周りを振り回して嫌々って言うなら辞めればいいのに」って思った。周りの大人も辞めさせればいいのに……。なんでもっと早く辞めなかったの? 平手センターの方が格好よくて売れるから? 辞めればよかったのに……。
新曲のフォーメーションが発表されるたび、「また平手かあ」って思っちゃってた。でも、MVとかパフォーマンス見たらカッコ良くて。平手がすきだなって思って。ずっとその行ったり来たりだった。
でもこの映画を観てしまってからは、あの曲もこの曲も、最初から平手じゃない子がやればよかったんじゃない? って思っちゃう。あんな風に「嫌だ嫌だ」って言ってる女の子を、なんで真ん中に立たせ続けたの?
まるで「神様」を作ろうとしてるように見えた。
サイマジョのモーセの振り、「民衆を導く自由の女神」のイメージなんだっけ。あれ、ジャンヌ・ダルクがモデルじゃなかったっけ。母国を勝利に導いたけど、最後には魔女として恐れられて火炙りにされてしまった女の子。子供の頃読んだ伝記漫画で、市民が「俺たちは魔女でもなんでもないただの女の子を火炙りにしてしまった」って言う場面があったことを思い出した。
勝手に祀り上げて独りにさせてそれでも真ん中に立たせて「かっこいい」って言っていた人たちはみんな、ファンもスタッフもメンバーも、ただの女の子をあそこまで追い込んでしまった罪を背負わなきゃいけない気がするんだよな。
(※ 記事公開前に調べたら「民衆を導く〜」のモデルがジャンヌ・ダルクってのは間違いでした……。でも映画を観ながらこんなことを考えたので、このまま投稿します)
たぶん映画全体としては、卓越した表現力を持つ絶対的センターがいて、でも彼女は調子が悪かったり、何を考えているか分からなかったり、ライブに出れないってことがだんだん増えてきて、「平手がいなきゃダメなのか」っていう壁に立ち向かう今のメンバーたちの物語 っていうストーリーだったんだと思う。
でもわたしは今の欅坂を、「平手友梨奈のイメージを払拭するためにひたむきに頑張る子たち」とか「平手がいなくても立てるようになった子たち」っていう風にはどうしても見れなくて。
そんな美談じゃないと思ってしまうんだよな。この映画を観てその感覚がより強くなった。
楽しくてハッピー!! ではないけれど、平手のパフォーマンスに惚れ込んで欅坂を応援してきた一人として、観ておくべき映像だったな、と思いました。
映画を観たあとね、彼女たちが何を考えているのか知りたくて、確か今出てる雑誌にインタビュー載ってるはず! って本屋に向かったんだけど、菅井キャプテンや今の欅のインタビューが載ってる雑誌(B.L.T.)はまだ数冊あったけど、てちのインタビューが載ってるロッキンジャパンは売り切れだった。
みんな考えること同じかよー!! 他の本屋まで行ってなんとか一冊だけ売ってたので買えました。映画だけ観た感想を綴っておきたくてまだ読んでないけど……。現欅メンバーのインタビューも併せて読んで、何か綴りたい想いがあったらまた書くかもしれません。
同じ日にせっかく映画館来たんやから観たいやつ他にも観てやる! と思ってPerfumeのライブ映画「Reframe theater experience with you」を観ました。
MCが全然入らなくて、楽曲のパフォーマンスよりもミックス音源に合わせてダンスしてる時間の方が長い不思議なライブ。
最後の最後だけMCがあって、そこであ〜ちゃんが「ライブとっても楽しかった!」って沢山沢山言っていて、ライブってこういうハッピーな場であってほしいなって、そう思いました。
おわり。
10/10 追記
ロキノンとBLTのインタビューを今更読みました……。
ロキノンで、平手が、「映画を観てスタッフさんを叩くのはやめてほしい」「それは私が傷つく」と語っていてこんな書き方をしたことを少し反省した。
今までは思うようにいかないことが多かったんじゃないかと思うけど、これからは、平手は周りの人たちを信頼してるんだなって思えるような作品が観たいなぁと思います。
BLTのインタビューで、ゆっかーやあかねんやゆいぽんが語ってた「みんなが幸せになってほしい」っていう言葉があって。その「みんな」の中には、きっと平手も入っていると思うので。
明後日はラストライブだ〜〜〜。
呪術廻戦のアニメが楽しみすぎる
前にこんな記事を書きましたが、情報解禁される度にワクワクが募るので、今回はワクワクポイントを語る記事にしたいと思います。
まずね、キャストが良すぎて震える。
わたしが声優さんに疎いこともあって、メインキャラ(1年生)3人のキャストさんは「調べれば『あ〜、あのアニメに出てるんだ〜』ってなるもののいまいちピンとこない」感じだったんですが、準レギュラーのキャスト陣が豪華&イメージ通りすぎる。
いっちばんテンション跳ね上がったのは狗巻棘(cv.内山昂輝)ですね……!!
内山さんの声好きなんですよ……! ヒロアカの弔くんもめちゃ良〜〜! だし、鬼滅の累くん役とか鳥肌立っちゃった……。ツイステでは声が内山さんってだけの理由で最初にイデアくんの手を取りそうになったし……。
しかも棘くんはおにぎりの具しか語彙がないっていうトガったキャラで、語彙が少ないが故に台詞も少なめ……なんですが、内山さんっていう人気声優さんをそのキャラに当てるいわば「良い声の無駄遣い」もめちゃくちゃ理想通りですね……!
今日発表された七海建人(cv.津田健次郎)も良い……!!
カッコいい大人として登場するナナミンに、あの色っぽい声がつくの……? スーツと七三ヘアが似合うリーマン(脱サラ)になっちゃうの……? アニメってすごいね……。
それに、主題歌のアーティストさんもめちゃくちゃ好きな人なんです……!!
◆この度、10月放送のTVアニメ『呪術廻戦』の主題歌OPを担当します。
— Eve (@oO0Eve0Oo) 2020年8月11日
ジャンプ作品で育ってきた自分にとって大変感慨深いです。エネルギーあるこの作品にどう寄り添えるか、そういうことを考えながら音楽を作っていました。
新曲『廻廻奇譚』をどうぞ宜しくお願いします。https://t.co/KFnQPCWb6c pic.twitter.com/NrGPTnx84p
Eveくん。
わたし基本的に最近の曲はアイドルと好きなアニメの主題歌くらいしか聞かないんです。他は昔から好きだったアーティストの曲を延々リピートしちゃう。
でもEveくんは2年半くらい前に会社の車でかかってるラジオで聴いたときからずっと好きで!! 「いつか呪術がアニメ化したらEveくんにOP歌ってほしいなー」ってずっと思ってたから、情報解禁された時は飛び上がって喜んじゃいました……。
この曲が特に好き。MVのアニメーションも綺麗!
こういう曲呪術の雰囲気に似合うなーって思います。
他にも日を追うごとにどんどん新しい情報が出たりグッズが出てたりして、「好きな漫画がアニメ化するのってこんなに楽しいんだー!!」と感動する日々です。だいたいアニメになってからハマるパターンが多かったから……。
そんな呪術廻戦は10月2日金曜日から、毎週金曜深夜1時25分から放送!! 楽しみだねーーーーー!!!!!!!
読書感想文 〜英米文学者と読む「約束のネバーランド」(著:戸田慧)〜
※この記事には「英米文学者と読む『約束のネバーランド』」本書および、「約束のネバーランド」原作漫画のネタバレを含みます。
この本がめちゃくちゃ面白かったので感想文です。
約束のネバーランド、好きなんですよ。以前鬼滅の刃の完結に衝撃を受けてブログの記事にしたりしましたが、実はどちらかというとわたしは鬼滅より約ネバ派。
この本も、ジャンプ編集部“公認”考察本! ということで早々に手に入れました(“公認”ではあるし、作中のイラストの使用許可も得ているけれど、「公式解説本」ではないとのこと)。
「作画のぽすか先生もツイッターで宣伝してたし、気になる! どんな本なんだろう?」と思っている人がいるかもしれない! というお節介と、面白い読書体験を書き記しておきたい!! という真面目な気持ちのもと、紹介と感想を書いていきたいと思います。
スゴい本が出ました!公式見解ではない本ですが、学術的に考察して頂いてます、宜しければ是非ご覧ください!!🔸🔶🦉🔶🔸 https://t.co/Fhmws17iTB
— 出水ぽすか(ポ~ン)🦉🎃🦈 (@DemizuPosuka) 2020年8月18日
↑ぽすか先生も「スゴい本」って言ってる! スゴい本でした!!
この本を書いた理由について、著者の戸田先生(広島女学院大学人文学部の国際英語学科准教授だそうです)はまえがきでこう書いています。
『約ネバ』において、読んですぐに理解できることは、あくまでも氷山の一角に過ぎず(それだけでも十二分に魅力的で楽しく、そして複雑なのですが)、その下には膨大な語られざる物語が存在しており、それがこの漫画を「文学」と呼ぶにふさわしい威厳と、「ジャンプらしくない」とも表現される深い魅力を与えているのだと思います。
しかしある時期から、この氷山の隠れた八分の七を読み取るためには、ある程度の知識が必要なのでは、とも思い始めました。
そこで本書では『約ネバ』をより深く味わうための手がかりとして、イギリスやアメリカの文化や児童文学、ユダヤ・キリスト教についての基礎知識を提供し、「文学」としての『約ネバ』の解釈の可能性を紹介したいと思います。
(全て本書5pより引用)
要するに、『約ネバ』の物語やキャラクターのモチーフになっていそうなもの(イギリス児童文学とか歴史とか文化とか宗教とか)を紹介するよー! って本です。
例えば、「『約ネバ』って『不思議の国のアリス』と同じで、白いウサギ(リトルバーニー)の登場で物語が始まるよね」とか、そういう話。わたし、このリトルバーニーと白ウサギの話題で「確かにーー!!」ってシビれちゃって。「リトルバーニー」も「アリスに出てくる白ウサギ」も知っているけど、そのふたつをこんなふうに結びつけるのか!! って感銘を受けたんです。
こんな感じで『約ネバ』に影響を与えていそうなモチーフや、そのモチーフと『約ネバ』の類似点を解説してくれてます。
わたしの体感では、それらの「モチーフ」の半分……くらいは高校までの社会の授業で聞いたことがある……気がする……。でもそんなのぶっちゃけ覚えてないし、学校の授業なんて時代と学校によって変わってくるし、まだ学校で習ってない歳の読者だっているわけだし、「ココが『約ネバ』に関係してますよー!」みたいな教え方もしてもらえないので、ほぼ全部新鮮で興味深く感じました!
なにより、社会の教科書に載っているだけだったら大して面白いと思わなかった歴史も文化も宗教も、『約ネバ』と関連付けて紹介してもらえたらめちゃくちゃ面白い!!
これから学校で世界の歴史を習う中学生さんや高校生さん、ぜひ読んでみてほしいなー! と思いました!!
(ちょっと嘘吐きました。高校生の頃ヘタリアのおたくだったから世界史は面白かったし好きだった)(その話はまたいずれ機会があれば……)
ちなみに、この本のスタイルは「新書」。漫画と小説ばっかり読んでいる身からするとちょっと馴染みのないものだから二の足を踏んじゃう方もいると思います。わたしも新書とか大学生のころ以来久しぶりに読んだし、大学生のころも授業やレポートや卒論に関係あるやつしか読まなかったので、「全部読み切れるかな?」ってちょっとドキドキしていました。
でもサイズも厚さもジャンプの単行本と同じくらいだし、字もそんなに小さくない(文庫サイズの小説の方がよっぽど字が小さい)し、ふりがなも結構振ってある(流石にジャンプ漫画みたいに全部ではなかった)ので、『約ネバ』を面白く読める方なら「難しくて読めない!!」ってことはないんじゃないかなあと思います。
難しい言葉もそんなに多くない(使われているときは解説もついてる)し、語りかけるようなやさしい「ですます」調だし。そんなに気負わずに手に取って大丈夫!!
で、ここからが本題。
この本のなにが面白かったかと言いますと、「『約ネバのここが好き!』に根拠が示されていく体験」ができたところです。
わたしね、約ネバにハマった理由って、大きく2つあるんです。
ひとつめが、背景とかビジュアルのイメージ。
1話のGF(グレイス=フィールド)ハウスの時点で「あ“ーーーーーー!!!!!好き!!!!!!!」ですよ。
だってとにかく建物がカワイイ。煉瓦造りの洋風建築、尖った塔とそこに設置された大きい時計、凝った形のランプ……。
もうシルバニアファミリーの家として出してくれ!!!! 部屋に飾りたい!!!!!!
そんで、8巻からの猟庭編の舞台GP(ゴールディ・ポンド)はもっと凄い。
一軒でもカワイかったお家が、何軒も何軒も並んでいる……だと……!?
三角屋根に煙突がついたお家、四角い格子窓のついたお家が、石畳の道に沿ってずらーーっと!!
いやもうおとぎの国じゃん!!!!
64話のラストに見開きでそのGPの景色が描かれてるんですけど、ここをジャンプで読んだときには物語の展開はめちゃくちゃ不穏なのに背景のカワイさだけで脳内に幸せ物質が満ち溢れましたね……。
要はそれくらい、『約ネバ』の背景に出てくるようなちょっとレトロな洋風建築が好きなんです。わたし。
日本に実在する場所で言えば、門司港レトロとか神戸の異人館とか! 横浜も去年くらいに初めて行ったけど素敵でしたね……!!
(たぶんこの趣味はハリーポッターの映画を観て育ったあたりからきている)
で、ふたつめの『約ネバ』にハマった理由は、設定の深さと明かされ方がめちゃくちゃ面白かったからなんです。
設定って言うと途端に薄っぺらい感じがしてあんまり好きじゃないんですけど、「主人公のエマたちにとってこの世界が地獄である理由」ですね。
『約ネバ』の序盤では、この理由はわからないんです。「理由はわからないけど俺らこのままだと食われちゃうから逃げようぜ!」で話が進む。
その食われちゃう理由がね、6巻47話「昔話」でやっとわかるんですけど、このとき「ぞっっっ……」としませんでした? わたしはした。
フィクションだから、ファンタジーだから、そんなわけないんだけど、もしかしたらわたしたちが生きている現実世界のどこか裏側に「鬼の世界」が、「GFハウス」があるんじゃないか……?? と思ってしまって。
でも、この「ぞっっっ……」って「面白い」なんですよね……。物語の魅力に一気に引きずり込まれるときの感覚。「もしかしたら本当にあるかも……」っていうリアルな手触りって、フィクションをめちゃくちゃ面白くしてくれるんですよね……。
しかも、この「鬼の世界」もリアル。フィクションなのに、「鬼」という架空の存在が生きる世界の話なのにリアル。
というか、この「リアルさ」の礎になっているのが、「英米文学者と読む『約束のネバーランド』」で紹介されている、文学や歴史や文化や宗教なんだと思うんです。
(やっとこの本の話に戻ってこれた……)
47話以降、鬼たちがどんな世界に生きているのか(エマたちが暮らしていたハウスの外の世界)が少しずつ明かされます。
鬼の世界にも、「偉い人」や「金持ち」がいる。宗教がある。社会がある。その社会のモデルになっているのが、イギリスの階級制度なのでは? とか、ユダヤ教やキリスト教の言い伝えや聖書に出てくる人物がモチーフになっているのでは? とか、この本が教えてくれるんです。
こうして実際の社会がモデルになっていることで、『約ネバ』を読むときに「実際の人間の社会もこんなトコあるよね……」っていう感覚が生まれているんだと思います。戸田先生みたいに外国の文化や歴史に詳しくなくても、「どこか(社会の授業とか今まで読んだファンタジーとか)で聞いたことある話」なんです。
だから鬼たちの階級制度が理解しやすいし、初登場のキャラクターに対して「こいつはきっとこんな奴だ!」と想像が膨らむ。読み進めていって、思った通りだと気持ちがいいし、予想を裏切られても(それが納得のいく裏切られ方だったら)面白い。
本(漫画含む)を読んだり、新しいことを知るときの「面白い」の種類のひとつに、「知っていることと知っていることが繋がる」「繋がっていることに気づく」っていうのがあると思うんです。パズルのピースがハマっていくような面白さ。
この本に書いてあるような知識を持っていると、「手持ちのピース」が多くなるなあと思います。ジグソーパズルと違って「正解」はないから、沢山「知識のピース」を持っていた方が色んな繋がりに気付ける。この本はこの世にたーっくさんある「知識のピース」の中から、『約ネバ』を読んでいるときに使えそうなものを戸田先生が選んで紹介してくれている。戸田先生なりの「ピースの繋げ方」を見せてくれている。そんな印象を持ちました。
それに、「約ネバの好きなところ」として最初にハイテンションで挙げた(ハイテンションになっちゃうくらい好きなんです。目に入って最初に感じる脳直の“好き”は気持ちイイ)ビジュアル部分も、鬼の社会が外国(イギリス)の文化や社会に基づいているところから組み上がっていったのかな……と想像ができます。
もしかしたら、わたしみたいにレトロな洋風建築大好き! 海外ファンタジー大好き! っていうタイプの読者の心をまずビジュアルで掴んで、イギリスの社会や文学が礎になっている物語にどんどんハマらせるためのあのGFハウスのデザインなのかも……。
和風の世界観が好きな人と洋風の世界観が好きな人の持っている「知識のピース」の種類を見てみたら、後者の方がきっと『約ネバ』を読んでいて「使える」ピースが多いだろうし。考えすぎかなあ。
あともうひとつ、この本では少年漫画だけれど主人公が女の子であることから、「ジェンダー」に関する章も設けられています。
これもめちゃくちゃ興味深いんですけど、ネットでジェンダーの話をするのは……ちょっと……苦手……こわい……(小声)という意識を持っているので、詳しい言及はまたの機会に、気が向いたときにします。
ステレオタイプなジェンダー論(男はこう、女はこう、みたいなやつ)早く無くならねえかなあああああと思う一方で、わたし自身「少年漫画に出てくる戦う女の子が好き」という自覚があるし自分の好みのキャラクターを端的に言い表したいときにその言い方をすることがあるので、人のこと言えねえ……と思っております。
ジェンダーの話、ブーメランのように自分に返ってくるから、ムズカシイ。
以上、長くなっちゃったのでここまで読んでくれた方がいるのか心配ですが、めちゃくちゃ面白い本だった! ってことが伝われば幸いです。
読書感想文楽しいのでまた面白い本を読んだら書きたいですね!
それでは!!!
風の谷のナウシカ、面白すぎませんか?
もう1ヶ月前の話になるけれど、風の谷のナウシカを観ました。映画館で。
コロナの自粛期間が終わりつつある頃に立ち上がった、ジブリ映画の再上映キャンペーンのやつですね。
ナウシカ、何回も観たことあったし、話もぜーんぶ知ってたんだけど、でもね、あのね、面白すぎませんか??
いやそんなこと当たり前体操なんですけどね!! 今更何言ってるんだって感じなんですけどね!! 「ナウシカ面白かった」って言ったら「観たことなかったの!?」って言われるんですけどね!!!
違う!! 違うの!!!
映画館のスクリーンで、あの音響と大画面で、あの迫力で、真っ暗な中最初から最後まで集中して観るナウシカ、面白すぎる!!!!!
金曜ロードショーで観るのと劇場に脚を運んで観るのでここまで違うのかってビリビリ感動した。
映画館という空間の底力を見た。
「一生に一度は映画館でジブリを」のキャッチコピーに相応しい映画体験だった。
(ちなみに千と千尋や猫の恩返しは公開当時に映画館で観たし、この度のキャンペーンでもののけ姫も観たので“映画館でジブリ”自体は初めてじゃない)
記憶消してもっかい観たい。
どんな映画か、どんな物語なのか知らずに観に行った公開当時の人たち、羨ましすぎる……!!
というわけで、鑑賞から1ヶ月経っていますがその時のテンションできるだけそのままで感想を書いていきたいと思います。
まじで当たり前すぎることしか言っていません。
まずね、蟲の造形が不気味なのが良い。
実在する虫たちの姿かたちはモチーフとして残っていて、でも色鮮やかで沢山の目がギョロギョロしていて、巨きくて。身体が大きいが故に口も大きい。食べられちゃいそう。そして蟲たちが羽や脚や口を動かすときの、ギチギチギチギチ……っていう不気味な音。もしも実在する虫たちがあのサイズだったら、あんな音が聞こえるんでしょうか。
いちばんぞわぞわっとしたシーンは、腐海に落ちて蟲に向けて銃を打つアスベルに、フナムシみたいなかたちでウサギくらいの大きさの蟲が沢山飛びかかるところ。ひえ〜〜〜〜!!! 怖い!!!!
王蟲みたいな非現実的な大きさじゃないから余計怖い。あのフナムシお化けに自分が囲まれるところをリアルに想像してしまう。ぞぞぞ〜〜〜!!!!
テレビの小さい画面じゃなくて、映画館のスクリーンで見るからこその臨場感と迫力。正直あのシーンでこんなにぞわぞわするとは思わなかった。(王蟲の群れはスクリーンで観たら気色悪いだろうなと予想していたからそこまでダメージを受けなかった)
そんで、風の谷、トルメキア、ペジテの3国の関係、あれって言葉で説明すると結構複雑だと思うんですけど、物語の中で理解できるようになっているのが凄いなと思った。
物語のペースが緩まないというか。台詞が説明くさくないというか。
ナウシカがアスベルと和解して、ペジテに戻ったら街が蟲に襲われてたとことかびっくりしちゃいません? トルメキアがペジテを侵略したこと、森を焼こうとしていることと結び付けて、「これはトルメキアが何かしたんじゃ……?」って思っちゃうけど、実はペジテを占領していたトルメキア軍を殺すためにペジテ軍が自ら自分たちの町を蟲に襲わせたと明かされて二重にびっくり。それまでに出てきたペジテの人って、ラステルは囚われの姫ってかんじだったし、アスベルも妹の仇討ちに燃えていただけで話してみればいい奴だったしで、「ナウシカ(風の谷)の敵」とは思えなかったんですよね。でも蓋を開けてみれば、風の谷に直接厄災をもたらそうとするのはペジテの人たちなわけで……。まあそもそもトルメキアがペジテを侵略しなければ、という話にもなりますが……。
……って色々考えているうちに、説明されたわけでもない3国の関係をいつの間にか理解している。現実の地理や歴史もこんな風に理解できたらいいのに!!
あと、風の谷の人々はナウシカの味方、トルメキアの人々はナウシカの敵、って描かれ方をしてますが、ペジテの人々は風の谷を襲う(蟲に襲わせる)人と、ナウシカを助ける人の両方がいるのも印象的ですね。同じ国だからといって一枚岩ではないってこと、現実世界でも忘れてしまいがちなので……。
それとそれと、巨神兵という存在が不気味すぎて怖い。
他の設定や武器や兵器は「現代文明が崩壊したあとの話」として「まあそういう未来もあるかな……」と思えてしまうんですが、巨神兵って、アレ、なに???
ナウシカ乗ってるような空を飛ぶ乗り物とか、光線銃搭載の小型戦闘機とか、まあ技術の発展でそういうのできるかもなって思えるんですよ。そうかと思えば剣と盾で闘う歩兵がいたり、戦車がなんだかレトロだったりしていて、技術レベルがあべこべなところも、「一度発展したものが崩れたあとって、すぐに立て直せるものとそうでないものに差が出そうだよな……」とか思考の手がかりになるんですよ。
だが巨神兵、お前はなんだ。
生物兵器……? 生き物……? 旧時代(現代文明)の人々はアレを“造った”の……? どうやって……? 生体実験……? 遺伝子操作……?? 元になった生き物はなに……?
こわいこわい。映画のクライマックス、風の谷に押し寄せる王蟲の群れが、巨神兵の溶けた“亡骸”を避けて通るシーンがあるのにもぞっとする。全てを飲み込み腐海に変えてしまうはずの王蟲が、避けて通るほどのモノなの……? どうしても“忌むべきもの”なんじゃないかという想像がどんどん膨らんでしまう。でも作中では答えは明かされない。えー!! 気になる!!!!
そして風の谷に流れる自然信仰もある意味怖い。
大ババさまが語る神話、信仰。それを信じて従う谷の人々。誰も疑わないんだろうか。
大ババさまの言うことがおかしいって言いたいわけじゃない。ありのままを受け入れて、自然にできるだけ危害を加えず、慎ましく生きる。素晴らしいことだと思う。実際それを信じていたナウシカの優しい心根が谷を救ったわけだし。
でもなんつーか、王蟲の群れを見た子供との「大ババさま死ぬの?」「それが定めならね」みたいなやりとりに、わたしは怖さを抱いたんですよ。子供だけでも逃がそうとか、生き延びさせようとか、そういう発想になる人は誰もいないの? 俺だけでも逃げようとか、俺だけでも生き延びたいとか、そんな自己中心野郎もいないの?
あの状況で、谷の人みんなが死を覚悟して、定めとして受け入れるのって、谷がまるごと強烈な宗教に呑まれているようで不気味だなって思ったんですよね。
ナウシカだって、たぶんあれ死のうとしてたんじゃないかと思うんです。王蟲の子供と一緒に群れの進む先に降りたとき。ナウシカみたいに生命力の強い子が、若い女の子が、谷の人々の先頭に立って真っ先に殺されようと思うほどの信仰。いったい何なのだろう。怖いなあ。
総じて、映画館で観るナウシカは、テレビで観るよりも何倍も深くて怖くて面白くて、考えさせられる映画でした。
あの映画が、特にあのおどろおどろしい蟲の作画とか腐海の作画とか、30年以上前につくられたものだなんて本当に信じられない。アニメーションって、ひとつに芸術作品だよなあと、改めて思い知らされました。
今後ますます、観たい映画はスクリーンで観なきゃ!! という想いが強まりそうです……。
日向坂46ドキュメンタリーを観て考えたこと
昔から、女性アイドルにほんのり興味を抱いていた。
モー娘。は周りの友達が離れていくのと同時に離れたけれど、AKBが流行りだした頃も周りに合わせて鼻で笑ってみたけれど、ずっとアイドルのことが気になっていた。
それはたぶん、頑張っている女の子が好きだから。頑張っている女の子はカッコいいから。わたしはカッコいい女の子が好きだから。
「頑張っている女の子」はアイドル以外にもスポーツ選手とか女優さんとか沢山いるけれど、可愛くて歌って踊ってキラキラしているところも憧れだった。
それなのに"ハマれるアイドル"がずっといなかった理由は、女の子たちが頑張った先に、"性的に搾取されるかたち"があることに、違和感と嫌悪感を抱いているからだと思う。肌を出した衣装とか、短いスカートとか、疑似恋愛のようなファンサとか、写真集の目玉には必ず水着とか……。(こんなふうに言語化できるようになったのは最近で、「アイドルに群がってうおー!って言ってる男の人の集団、怖いな……」とぼんやり思っていた時期の方が長い)
だから、肌を殆ど隠した衣装で、カメラに媚びず、強いパフォーマンスをする欅坂46に胸を打たれた。女の子たちが頑張った先が、短いスカートでハリボテの恋心を歌う姿じゃないことに強く心惹かれた。わたしは彼女たちの虜になって、毎日のように動画や情報をチェックした。
(欅坂も歌とダンスのパフォーマンス以外ではファンサもするし、握手会で疑似恋愛みたいなやりとりもするし、アイドル雑誌のグラビアでは露出度の高い薄着のこともある……のはファンになってから知った。正直なことを言うと、やめてほしいなぁと思っている)
そんな欅坂46の側にいたのが、妹グループのけやき坂46だった。
わたしが欅坂を好きになった頃、漢字欅とひらがなけやきは一緒の活動(ライブとか握手会とか)をしていることが多くて、漢字欅を追っかけているうちに自然とひらがなけやきの情報も目に入ってくるようになった。
3年半くらい前に一度だけ行った握手会では、お目当の漢字欅の推しメン(米谷奈々未ちゃん)の他に、ひらがなでお気に入りだった影山優佳ちゃんとも握手した。高瀬愛奈ちゃんからはレーンの向こうから手を振ってもらうというファンサも貰った。
そうやって、「ひらがなけやきも可愛いな、頑張ってるな、応援したくなるな」と思っているうちに、ひらがなけやきはどんどん成長していった。みるみるうちにライブの会場が大きくなり、漢字欅に頼らない単独のドラマや冠番組や舞台も増えていった。突然降って湧いた武道館3daysも成功させ、単独でアルバムを出し、とうとう欅坂から独立してシングルデビューすることになった。
日向坂46の誕生だ。
日向坂46はいつも、キュンキュンキラキラな恋心を歌う。「アイドルが性的に搾取される姿」が好きじゃないわたしにとっては、正直言ってタイプじゃない。可愛いのは可愛いけどその歌詞に共感したり憧れたりすることはない。ぶっちゃけ何が言いたいかよくわからん曲だなぁと思うこともある。
それでもわたしが日向坂を見てしまうのは、「昔からずっと知っている子たちだから」という部分が大きい。「わたしたちなんて……」という気持ちを隠し切れてない控え目な笑顔で遠いレーン越しに手を振ってくれていたまなふぃが、キラキラニコニコフェイスで歌って踊ってたら「良かったねぇぇぇぇぇぇ 可愛いねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」って思っちゃうじゃないですか!!日向坂がニコニコ歌って踊ってるのを見ると、いつも胸があったかくなって嬉しくなって、「カワイイの天才!」って言っちゃう。甥っ子とか姪っ子の頑張りを見てる心境ってこんな感じかな、と思う。何しててもカワイイ。
そんな日向坂46のドキュメンタリー映画が公開された。
サインポスター!!!
(田舎から今の街に越してきてから、映画館やCDショップで色んな芸能人のサインポスターを目にするようになりました……。都会って凄いなぁ)
けやき坂の頃からずっと見てるからだいたい知ってるけれど、映画になるって凄いなぁと思って観に行った。映画館で映画観るの、好きだし。
メンバーへのインタビューと、レッスン中やステージ裏で回したカメラで撮った映像、それに過去のライブ映像で構成されたドキュメンタリー。知っていたことも知らなかったこともあった。メンバーの心境も語られていた。
結成したとき、デビューしたとき、メンバーが抜けたとき、沢山のエピソードに、アイドルの涙が映っていた。悔し涙や、悲しい涙や、感動の涙。アイドルが泣くとわたしも涙が出てきた。たぶん5回くらい泣いた。一度だけ行った握手会を思い出した。時間ギリギリまで手を握って話してくれた影ちゃんや、10メートルくらい遠くから手を振ってくれたまなふぃ。きっと必死だったんだね。ぜったい泣くと思って一番後ろの席取っといてよかった。
わたしが日向坂46を好きなのは、申し訳ないけど「曲が好きだから」ではない。この映画で描かれているみたいに、壁にぶつかっては乗り越え、ぶつかっては乗り越え、自らの手で道を切り開いてきた経歴がカッコいいからだ。その中で生まれてきた、人と人との繋がりに胸を打たれるからだ。
でもね、こうやって日向坂の経歴が、ひとつの感動ストーリーとして語られるのを見るたびに思うんです。
わたしたち、他人の人生を、娯楽として消費してない????
彼女たちは必死なのに。約束された成功なんてどこにもなかったのに。彼女たちは、わたしたちを感動させるために泣いているわけじゃないのに。最終的に良いパフォーマンスをして感動させたいという気持ちはあるだろうけれど、泣いている姿そのものを晒して感動させたいわけじゃないでしょう?
日向坂の笑顔にエネルギーを貰ったのとは裏腹に、アイドルの人生をフィクションのストーリーと同じように消費することへの違和感を抱きながら映画館を出た。
ステージの裏側や本人たちの心境を知れば感動して親近感を抱いてアイドルのことをもっと好きになるけれど、他人の人生を消費する気持ち悪さはいつまで経っても消えないなぁ。
この話、欅のオンラインライブ観た後にもしてますね……。
わたしはアイドルファンに向いてないのかもしれない……… と悩むけれど、きっと来月の欅坂のドキュメンタリーも、観に行くんだろうな。
割り切り方かアイドルからの離れ方、誰か教えてください!!
「欅」っていう字が書けるようになったよ
わたしは小林由依ちゃんが好きです。
3人くらいぽろぽろっと辞めたのに続いてねるちゃんも卒業するってなったとき、「わたしたちはどんなことがあっても前を向いていなくてはいけないお仕事をしています」ってブログに書いていたのが格好よくて、好きになった。
最初は米谷奈々未ちゃんがずっと好きだった。賢くてシャイで少しドライなところとか、でもファンと後輩(当時のけやき坂46)想いのところとかが好きだった。欅坂メンバーには照れ隠しのようにちょっと冷たいところもカワイイなって思ってた。あんまり前の方に出てこない子だったけど、テレビに出てるときチラッとでもよねさんの笑顔が映ると幸せになれた。
でもそんなよねさんが卒業しちゃって。よねがいた場所を他の子が埋めているのを見るたびに泣いていた。
そんなときに、ゆいぽんの「どんなことがあっても前を向いていなくてはいけない」って言葉を読んだんだよね。
↑この記事です
↑このブログも好きです。最初に卒業していった3人のことを書いた記事。
ただのファンのわたしよりもずっと寂しくて不安なはずなのに、そうやって意思表示するところが格好いいなって思った。3周年ライブで、「渋谷川」をひとりで歌ってるのを見て、強い子だなって思った。強いから自然に前を向けるんじゃなくて、「前を向いていかなきゃいけない」って意思を持って強く在ろうとして前を向いてるんだなって思った。じゃあわたしも前を向いて行こうとしているこの子を応援したいなって思った。
平手が怪我をして欅坂全員が武道館に立てなくなったとき、凄く悔しかったって言ってたのも、グループの活動が少ない時期にモデルやドラマの仕事を一つ一つこなして、ブログで丁寧に宣伝しているのも、全部「どんなときも前を向いていなくてはいけない」という言葉に繋がっている気がして好感を持った。
昨日の配信ライブでのゆいぽんは、凄く凄く凄く美しくて格好良かった。気迫があった。「でもセンターの子辞めたんでしょ?」って私に言ってきた奴ら全員に、この子を、このライブを見せたいと思った。「"代理センター"なんて言わせない」って伝わってくるようだった。「てちにしかできない」って言ってた自分が恥ずかしくなった。てちのパフォーマンスはてちにしかできないけど、ゆいぽんのパフォーマンスもゆいぽんにしかできないよ……。(ぶっちゃけてちはムラと怪我が多いことを知ってる分見てる時にずっとハラハラしちゃうので、こっちのがパフォーマンスの格好良さに集中して観れる)
でも、きっと、それだけ格好いいパフォーマンスができたとしても、「欅坂」って名前にこびりついたスキャンダラスなイメージは払拭できないって判断されてしまったんだろうな。それがすごく悲しいし、悔しい。「てちにしかできないパフォーマンス」から脱皮するときに、「欅坂」っていう名前が抱える「平手友梨奈」のイメージは足枷だと判断されてしまったのかな。
「欅坂が好き」って言うと、「センターの子が倒れたとこ?」って言われるんですよ。それ、好きって言ってる人に向かって言う??? って思うんだけど。でも実際言われるんですよ。何年前の話しとんじゃ。
たぶん、相手の人はこっちを不愉快にさせようとしてると言うよりも、それしか知らないからそれしか言うことがないんだろうなぁ。「なんで倒れたの?」「今は元気なの?」みたいな、下世話な週刊誌の記者か??? って思うようなこと聞かれることさえある。知らないよ。わたしはあなたが読むような下世話な週刊誌や匿名掲示板の情報は見ないようにしてるから、公式のHPやブログとテレビとラジオと、せいぜい雑誌のインタビューで公にされてることしか知りません。
ただのしがないファンのわたしですらこんなやりきれない思いをすることがあるんだから、本人たちがぶち当たるものはもっとキツいんだろうなって想像がつく。
だから、きっと、名前を変えようってことになったんだと思う。わたしはゆっかーのMCをそうやって受け取った。
今は「ライブめちゃくちゃ格好よかった!」っていう高揚と、「欅坂という名前がなくなってしまう」という悲しさで板挟みで、心の真ん中でちゃんと受け止めることができてない。でも、これから先もこの子たちが踊る姿が見たいなって沢山思うよ。
そしてこういうことがあるたびに、生身の女の子の貴重な人生を、ストーリーとして楽しみ消費している自分に気づいてぞっとする。アイドルってそういうものだし、もっと話を広げるとオーディション番組とかスポーツ選手とかもみんなそうなんだけど。
3次元の推しを推す心、深淵を覗くようだなぁ。